夢の舞台明治神宮球場で野球をした時の感想文(全国高校定通制軟式野球大会)定時制高校のお話

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夢の舞台明治神宮球場で野球をした時の感想文(全国高校定通制軟式野球大会)

明治神宮神宮球場のイメージ

 私は20歳の時に全国高校定通制軟式野球大会にて明治神宮球場でプレーをさせて頂きました。

 自分は小学生4年生の時からヤクルトスワローズファンでした。地方出身の私にとっては明治神宮球場はテレビの中の世界であり、その中でプレーをするなど全く想像をしていませんでした。明治神宮球場と言えばプレステの実況パワフルプロ野球でホームラン競争をする時に横浜スタジアムと広島市民球場の次に狭かったためよく使う球場だったと印象しかありませんでした。

 高校球児だった時は、3年生の方々はとても素晴らしい先輩方で甲子園へ出場しましたが、その後の1年秋県大会でコールド負けをしてしまい、神宮大会に出場するという発想すら当時は持ってなかったことが記憶にあります。

定時制高校に入学して再び野球に携わる

 その後私は野球部と学校を辞め、すぐにアルバイトを始め地元の小学校に野球を教えに行きながら職業訓練に通い1年を過ごし、その後夜間の定時制高校に再入学しアルバイトを続けながら、柔道部に所属し柔道の練習をしない筋トレ専門部員として筋トレを頑張っていました。

 そして3年生になったある日、以前他校で高校野球の監督をされていた軟式野球部の先生に定時制の軟式野球部の人数が足りないから野球をやらないかと誘われ、久しぶりに野球に携わりたいと思い私は二つ返事で野球部に入部する事にしました。また当時、同じ時期に通信制の体育講師の先生の草野球チームに誘われ久しぶりに再び野球漬けの日々が始まったのでした。

 定時制高校はとても自由度が高く、単位をほとんど取得していた私は3年生の時はほとんど学校に行かなくても良く、週2日体育の授業と1日のホームルームに参加すれば良いだけの状況でしたので、午後から筋トレと柔道をするためだけに学校に行き夕方から近くの学校のグラウンドで野球の練習をするという夢のような毎日を過ごしていました。

監督さんたちと体育の授業

 また唯一受けている2回ある体育の授業もこれもまた何かの縁なのか、ひとりの先生は前勤務の高校で硬式野球部の監督をされていた自分達軟式野球部の監督さんで、もう一人の先生は本校に移転前に強豪県立高校監督として甲子園に何度も行かれた先生が体育の担当でした。両先生とも私が高校球児の頃は現役で監督をされており、定時制高校で出会ったときはびっくりしたことを憶えています。

 強豪校の監督さんだった先生と初対面の時は自分がヤクルトスワローズ由規投手のTシャツを着て体育の授業を受けていましたら、「○○、野球すきなのか?」と声を掛けてくださいました。その時まだ強豪校の監督さんだと合致していなかった私は「先生も野球お好きなんですか?」と聞いてしまい、先生は笑顔で「一応高校野球で監督やっていたからな、野球は好きだよ」と応え、私はその先生の苗字からすぐに察しました。まさか定時制高校の授業で会うことなんて想像していなかった私はびっくりして焦りながら「もしかして○○監督ですか?」と質問すると予想通りの結果となり「○○、俺の事知っているの?」と応えられ、「もちろん、ぼくも○○高校で野球してました。」と応じ、そこから高校野球のお話をよくさせていただきました。私が中学3年生の時、甲子園予選では私が入学した高校はとても前評判が良く甲子園でも勝ち進むだろうと言われていたチームでしたが、その先生が率いる高校に準決勝で負けてしまい、結局先生のチームが甲子園出場を果たしました。その時のお話も体育の授業で振り返る事が出来たのはとてもうれしかった経験です。

 そんな中、授業ではよく体育館内でノックを打ってもらったり、柔らかいボールで試合をしたり、また甲子園出場のある監督さん先生はバトミントンと卓球がとても強く、卓球に自信があった私はいつもその先生を倒す事に必死になったことも良い思い出です。

 このような恵まれた学校生活を過ごし、肝心の野球の結果はというと全国大会に見事出場しベスト8まで進出する事ができました。

全国高校定通制軟式野球大会とは、様々な人が集まる真剣で楽しい試合

 定通制軟式野球大会は全ての試合を神宮球場で行われる訳ではなく、開会式は神宮球場で行われ、メイン球場は神宮球場となり、神宮含め府中、駒沢、等々力、等の複数の球場でトーナメント試合が行われます。自分達チームはなんとベスト8まで進出しないと神宮球場での試合開催はなく、それまでに勝ち進まなければなりませんでした。

 正直なお話をするとそこまで勝ち上がれる想像は全くしておらず、一日でも長く東京にいて1試合でも多く試合ができたら良いなくらいにしか思っていませんでしたが、そんな中予想以上の躍進で、中々締まった試合を続けることで順当に勝ち進み、見事、神宮球場開催の試合まで辿りついたのです。

 定通制の高校は様々な事情でいろんな年代の人や様々な環境の人が学校に通っているため、仕事をしながら通学されていたり、子育てをしながら通信や夜間に通う人や、老後に若い時に通えなかったため定通制高校に入り直された人も通学しています。そのため軟式野球全国大会も色々な年代の人が参加され、中には60代で試合に出ている方もいらっしゃいました。しかし、大会のレベルは決して低い訳ではなく、みんな自分たちの仕事や勉強がありながら、野球が好きな人が一生懸命楽しむように参加され、中には140km/h近く投げ込む投手もいたりと、レベルの差はピンキリだけど、いろんな人が混ざって、様々なドラマのある大会でした。(ちなみに天理高校が近年ほとんど優勝されています。)

いざ明治神宮球場へ

 そして、いざ神宮球場のベンチ内に入った時、気持ちはとても晴やかで球場はとても広く、とてもだけどこの球場を狭い球場なんて全くも思いませんでした。その日は快晴で真夏日であり、まさに野球日和で、最高の舞台に来たなと心が震えた事を覚えています。

 アップを済ませ、キャッチボールを始める時に私の一つ上である21歳の先輩が今日は良い天気だと言い、なんと外野の芝生で寝転がってしまいました。本人曰く神宮球場で一度やって見たかったとの事で私もその発想は素晴らしいと思い一緒に寝転がり空を見上げるとちらっと見えるスコアボードと観客席から真夏の雲と青空が広がり、神宮球場から見る心地よい空を堪能しました。

 そんな中、ベンチから監督さんが「やめろー、恥ずかしい事をするなー」と走って来ましたが、監督さんも普段は試合前にキャッチボールなんてした時はないのに私たちと一緒にキャッチボールを始めたのです。

監督さんもよっぽど神宮球場のグラウンドで体を動かしたかったのでしょう。

試合が始まり、思わぬ展開と最高の思い出

 相手校はまた定時制ならではの個性的なチームで、球場外で半裸でアップをしていたり、いかにもやんちゃそうな選手が多く私たちはそのチームの事をリアルルーキーズと呼ぶことにしました。

 そんなこんなで遂に試合が始まり、我がチームのエースはとても良いピッチャーであると共に4番でキャプテンでとても真面目な子です。とてもコントロールが良くツーシームと速い真っすぐが武器で淡々と投げ込みスタイルであるため野手としてもとても安心でき、そのピッチャーがいたからこそ勝ち進んだと言っても過言でないくらいのまとまったピッチャーでした。

 しかし、その試合に限ってはその子の球は浮いてしまい、やはり準々決勝まで勝ち上がるチームは打力があり相手高校に連打を浴び3回までに7点以上奪われてしまいました。

 今まではピッチャーが抑えながら、四球や盗塁でチャンスを作り、要所の連打や四球で点数を奪うという堅実な攻撃を徹底し、やはりコントロールの悪いピッチャーは多く、中には30代のピッチャーもいたためスタミナを消耗する事も頭に入れ、しっかりボールを選ぶ事でチャンスが広がるという野球をして勝ち上がってきておりこの試合も同じ戦法で戦いました。しかしその試合の球審のストライクゾーンの広いこと、ワンバンしたカーブもストライクを取られ、ちょっとヤンチャなレフトの子もベンチでボヤいてました。相手ピッチャーがまとまっていたこともあり打線は繋がらず無失点のイニングが続きました。

 しかし、中盤にランナー一塁で自分の打席が回り、負けず嫌いな私は少しでも追いつきたいと思い自分なりのバッティングをしようと打席に入りました。

 その時です、相手ピッチャーの投げた球が良い高さに浮き、私はそのボールを見逃さず無心でバットをコンパクトに振り抜きました。そうしたら、なんとレフトの頭をライナーで飛び越え、フェンスの奥までボールが転がって行き私はタイカップ型のバットを放り投げ一生懸命走り、中継がモタついている間に三塁を周りヘッドスライングでホームインしました。私は思わず「よっしゃー」と声を上げ次のバッターとホームインしたランナーに強く叩くようにハイタッチをして、ベンチに戻ると野球を複雑な形でもこれまで携われた事と最高の舞台での達成感でちょっと泣きそうになってしまいました。しかし試合は続いているため負ける気など毛頭ない私は、すぐに声出しに移り、自分の持っている雰囲気や良い流れをみんな伝えようと明るく試合に望みました。

 また4回付近の出来事でした。キャッチボールの時に寝転がった一つ上の21歳の先輩は2アウト得点圏にランナーがいる場面でバッターが放った右中間のライナーをなんとギリギリのダイビングでボールを捕ったのでした。その先輩のベンチに戻って来る時のあの笑顔といったら一生忘れないです。いつもクールで理屈冷静派であった先輩でしたが、その時は野球を始めたばかりのような子供のように両手を上げ右手を握りしめながら全速力で小躍りをするように走っていました。よっぽど嬉しかったんだと思います。

負けてしまったが、一生の思い出と最高のひと夏

 結果、その試合は2番手で途中から投げ無失点に抑えていた左ピッチャーの子が終盤にエラーも絡み連打も浴び追加点を与え、敗退してしまい楽しい時間は終わってしまいました。

 私個人のお話をすると4打数2安打を放ち中盤にはレフトオーバーのランニングホームランと終盤にこれまたレフトオーバーのスリーベースを放ち大満足の結果となりました。後日新聞にも写真付きで記事も書いてもらったこともうれしかったです。

 このように明治神宮球場という聖地で、また一味違う野球を体験させてもらいヤクルトファンである私にしてみたら本当に最高の舞台で最高の結果を残せたのかなと思います。

 20代に差し掛かるその時にとても起点となる良い体験をさせてもらいました。それ以降私はずっと野球漬けであり楽しむ野球を思う存分堪能している毎日を過ごしています。

 余談ですが、その試合の後のミーティングでは普段は一切褒めない天邪鬼な監督さんでしたが、そのミーティングでは一言、「お前らは頑張ったと思うよ」と言って頂きました。その数時間後ナインで無断で秋葉原に出掛けた事で監督さんと部長先生に怒られた事も良い思い出です。その時のエースの涙も忘れません。

 定時制高校という事もあり自由にそして、仕事をしながら良い大人も通ってますので自己責任で、自分達なりに一生懸命取り組んだ一夏でした。

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