イチロー選手の下積み時代 河村健一郎さん、新井宏昌さんとの共同作業 振り子打法の完成

SNS

イチロー選手がブレイクするまで、下積み時代

イチロー選手2年目のシーズン

2年目のシーズンも開幕一軍入りを果たしましたが、一軍スタッフ陣との軋轢はさらに深まる一方で、自分達の言う事を素直に実践しない生意気な選手だと感じた監督、打撃コーチは自分達の言う事を聞くか、二軍に落ちるか選べと言い、イチロー選手は二軍に行く事を選び、結局何度も一軍と二軍を行き来する一年となってしまいました。

一軍と二軍の指導方針の違い

当時のイチロー選手はきれいなレベルスイングでしたが、監督や一軍コーチにはアッパースイングに見えたため、内野フライを量産するイチロー選手を評価出来ませんでした。河村二軍打撃コーチは内野フライはジャストミートと紙一重であり、打てないのはスイング軌道のせいではなく、タイミングのズレを指摘されていました。しかし、一軍スタッフは差し込まれて凡フライとなるよりは、内野ゴロを打たせればイチロー選手の足ならセーフになると判断し、ダウンスイングへの修正を命じられましたが、イチローは頑として受け入れませんでした。その事で結局一軍では成績を残せず、コーチ、監督から評価されず二軍に落とされますが、二軍ではのびのびと自分のプレーを発揮して圧倒的な成績を残すことで、再度上から声がかかりますが、いざ一軍に上がると監督やコーチは打撃フォームが気にいらず、イチロー選手もスタイルを貫き通せず、結果が残せないため二軍に落とされるということを繰り返してしまっていました。

また一軍の対近鉄戦で野茂英雄投手からプロ入り初ホームランを放っても、地方の狭い球場でギリギリのスタンドインだった、早くバッティングスタイルを変えろと評価され、数日後には二軍に落とされるなど悔しい思いをたくさんされて来られました。

二軍に落とされた事で基礎を固め、振り子打法の習得へ イチロー選手の涙

しかし、二軍打撃コーチの河村さんにとっては好都合であり、二軍に降格を命じられ、理不尽を感じ泣いて帰ってきたイチロー選手にそのままのスタイルで良いと諭し、土井正三監督も今シーズンまでで契約解除するであろうという事を見通し、「変えるとこはどこもないよ、いいか、お前がやめるのと、一軍の監督、コーチがやめるの、どっちが早いんだ?言わなくてもわかるだろう?」「監督、コーチのほうが早いんだ。来年はたぶん別な監督、コーチになっているよ。自分に合わんことは聞かんでもいい」と自分を貫くようにアドバイスをして、バッティングフォームを二軍で固めて、特徴を伸ばし一軍で活躍できるよう一緒に練習に取り組みました。

イチロー選手が二軍に降格後すぐに、根来二軍監督に一軍スタッフの総意として、イチロー選手にダウンスイングを身につけさせろと指令がありましたが、河村健一郎さんはその指示を受け入れず自分達のスタイルを貫き通し、イチロー選手の課題であるパワー不足を解消するために、足をゆっくり高く上げる一本足打法を提案し実践され、その形が後に振り子打法と言われるイチロー選手のバッティングフォームの礎を築き上げました。

イチロー選手は元々体重移動の大きい選手で右足へ体重が大きく乗るため、右足より身体が前に突っ込まないようにだけ気をつけて、始動を早めて、ボールをゆっくりみるよう足を高く上げるバッティングフォームを固めていきイチロー選手も腐る事なく、練習に励み、結局一軍では打率.188の成績でしたが、二軍では.371の成績を残し、来年へ繋がる成績を残しました。また長打の数も増えイチロー選手のバッティングスタイルは確立しつつありました。

そして2年目のシーズンオフにハワイのウィンターリーグに派遣され、152mの特大ホームランを放ち、打率.311を記録しMVPを獲得されました。また、ウィンターリーグ開幕直前に夜間練習にて、鏡の前で素振りをしていたイチロー選手がチームメイトに「これカッコ良くない?」と聞き、チームメイトは「ええんちゃう?」と答えた所、「試してみるわ」と振り子打法に確信を得て、その次の日の試合は複数安打を記録し、イチロー選手のバッティングスタイルが固まり自信を付けた経験となりました。

タイトルとURLをコピーしました