みんなのバッティングの先生 「怪童」中西太さんの教え 黄金期西鉄ライオンズの怪童

バッティング

怪童中西太のバッティング理論 ルーツ

野球の世界において、指導者との縁はとても大切になり、良い指導者に巡り合えるかどうかで野球人生を大きく左右します。

プロ野球の世界でも、名選手には恩師、師匠と言える存在の監督、コーチは必ずおり、どの選手にも活躍に至るまでのきっかけがあります。それほど大事な指導者ですが、中西太さんという方はプロ野球界においてこの人なく語れない偉大なバッティングコーチでした。選手としても西鉄ライオンズの主砲として活躍され、豪快なバッティングスタイルから怪童と呼ばれていました。中西太さんの門下生はたくさんプロ野球界におり、現在活躍されている選手も一度は中西太さんから教えを説いてもらった人も少なくありません。今回はそんな中西太さんの野球人生と偉大な功績、継承してきたものについてお話しをしたいと思います。

怪童 中西太さん

現役時代

中西太さんは高校卒業後、1952年に西鉄ライオンズへ正式入団しましま。開幕から七番サードでスタメン出場され、その年は打率.281、12本塁打、65打点16盗塁で新人王を獲得しました。

翌年1953年は7月から4番に座り、打率.314、36本塁打、36盗塁で史上最年少でトリプルスリーを達成。同年から6年連続でベストナインに選出され続けました。また、36本塁打は2021年現在も2019年の村上宗隆と並び高卒2年以内の選手の最多本塁打記録であり、86打点も同年の村上が抜くまで高卒2年目以内の選手の最多記録でした。また、この年を含め4年連続でホームラン王を獲得し、計5回ホームラン王に輝きました。また1956年はパ・リーグMVPを獲得し、名将三原脩監督の元、野武士軍団として仰木彬、大下弘、豊田泰光、稲尾和久、高倉照幸、河野昭信と共に黄金期ライオンズを支えてきました。

中西太さんの残した伝説として、当時飛ばないボールだった時代に本拠地平和台球場でバックスクリーンを越える特大アーチを放った事と、ショートの頭上を越えた当たりがそのままライナーでスタンドに入った事が今でも伝えられています。それだけ現役時代は偉大なバッターとして名を残し、1999年には野球殿堂入りを果たしました。

しかし、現役途中腱鞘炎に悩まさせれ、20代のうちに全盛期ほどの活躍は難しくなり、現役晩年は代打に専念されたり、プレイングマネージャーで采配を揮いながら、プレーを続けて来られましたが、惜しくも1969年に引退されました。

出典:https://ameblo.jp/wangan-bbc/entry-12465078471.html

三原魔術の下、野球を教わる

ちなみに中西太さんは三原脩監督の長女さんと婿養子として結婚されました。三原脩監督はとても指導熱心な方で若かりし頃のヤンチャな仰木彬さんを野球に専念させるため自宅に寝泊まりさせ、毎朝野球談義をして教育をされ、レギュラー選手にまで育成されました。またカンの鋭さが際立ち、策略家であったため、三原魔術と呼ばれ、教え子である仰木彬(仰木マジック)、またその教え子である中嶋聡(中嶋イリュージョン)まで、野球観は受け継がれていきました。中西太さんも三原脩監督の下で野球観について勉強され、後のコーチ人生の中で大きく生かされる事になりました。

引退後 コーチ人生の始まり

引退後は、引退後に1年だけTBS解説者(1970年)を務めた後、

ヤクルト(1971年 – 1973年ヘッドコーチ, 1983年 – 1984年一軍ヘッド兼打撃コーチ)、

日本ハム(1974年 – 1975年監督)、

阪神(1979年 – 1980年一軍打撃コーチ, 1980年 – 1981年監督)、

近鉄(1985年 – 1988年一軍打撃コーチ, 1989年 – 1990年ヘッドコーチ)、

巨人(1992年一軍打撃総合コーチ)、

ロッテ(1994年ヘッドコーチ)、

オリックス(1995年 – 1997年ヘッドコーチ)

など計7チームで監督・コーチを歴任されてきました。また臨時コーチとしても各球団を渡り歩き様々な選手を指導されてこられました。

たくさんの門下生と受け継がれるもの

代表的な教え子としては、若松勉、八重樫幸雄、宮本慎也、岩村明憲、青木宣親、杉村繁、ペタジーニ、金村義明、デーブ大久保、ブライアント、新井宏昌、石井浩郎、大石大二郎、伊勢孝夫、掛布雅之、真弓明信、ニール、大島公一、田口壮と数え上げればキリがありません。

そして、中西太さんから指導を受けた選手たちは現役を退いた後、打撃コーチとして次世代の選手の育成に励み、中西太さんのバッティング理論は現在も受け継がれています。

イチローを育てた新井昌宏

有名なお話しとしては、南海ホークス、近鉄バファローズで活躍された新井昌宏さんは、晩年、近鉄にトレードされた際に中西太さんからバッティング指導を受けて再起され、首位打者を獲得されました。新井昌宏さんは現役引退後、仰木彬監督の下、オリックスブルウェーブの一軍打撃コーチをされており、中西太さんの理論を生かし、マンツーマンでイチロー選手の指導に当たり見事才能を開花させました。

山田哲人、村上宗隆を育てた杉村繁、伊勢孝夫、両コーチ

また山田哲人選手や村上宗隆選手を育てた、伊勢孝夫、杉村繁バッティングコーチも中西太さんの門下生であり、有名な山田哲人選手の数種類のティーバッティングも中西太さんが始めた事であり、宮本慎也選手も若手の頃に中西太さんとマンツーマンでティーバッティングを念入りに練習をされていました。宮本慎也選手も中西太さんの指導で打撃が開花され、後に2000本安打を達成するまで至った名選手に成長されました。また、同じくヤクルトスワローズの岩村明憲選手も中西太さんに付きっきりの指導を受けて、「何苦礎」という言葉を送られ、下積み時代を過ごし基礎を身につけました。

文化の違う外国人も育て上げる

近鉄時代では、前年に二軍で燻っていた、助っ人外国人のラルフ・ブライアント選手を指導され、後にホームラン王を獲得、見事外国人選手も育成、打撃開花させる実績も残しました。ブライアント選手は中西太さんから「辛抱」という言葉を送られ、一軍で活躍してもブライアント選手は「シンボウ」と口癖で唱えていました。

教え子である、デーブ大久保さんも後に西武ライオンズのバッティングコーチをされ、中村剛也選手や中島裕之選手、片岡易之選手の育成にも貢献されました。

このように、現在活躍されている選手もルーツを辿ると中西太さんまで辿り着き、偉大な功績を残してきた事がわかると思います。

中西太さんが大切にされている事

そんな中西太さんが技術指導で一番大切にされていた事は個性を見つけて長所を伸ばすという事でした。三原脩監督の教えである「人を見て法を説け」の通り、選手の体の作りや動き方の特徴を捉えて、その選手にあった指導をされてこられ、指導方針としては、とにかく体を大きくして、下半身の力をしっかりと使うために上半身を正しく使い、トップの形をしっかり取る事とタイミングをしっかり合わせるという事を大切にされてきました。

共に汗を流す

特に中西太さんは選手との対話を大切にされ、教え込むというよりは体感させる事を大事にして、自分も一緒に汗を流し、ひたすらトスを上げ、選手とティーバッティングを延々と繰り返されていました。また下半身と上半身の連動性について理解してもらうため、時には選手に相撲の鉄砲を撃たせ身体の使い方を染み込ませました。

尽きる事のない探究心

中西太さんは、自分がバッティングを教えているのではなく、選手たちにバッティングを教えてもらっている、これからも何か話す機会があったら自分にバッティングを教えてくれと話され、88歳となる現在でもプロ野球中継は欠かさずチェックしており、探究心は未だにしっかりと持たれている方です。最近では阪神タイガースの佐藤輝明選手に注目しており、2021年シーズンの途中からの不振についても下半身の粘りとボールの引き寄せ方について懸念されるコメントを残されていました。

以上のように中西太さんの打撃理論は、現代野球の基礎となっており、今もなお教え子たちが指導者としてプロ野球の世界で活躍されています。私たちが指導者から教えてもらった打撃理論もルーツを辿れば中西太さんの教えであるという事も意外も多いのではないでしょうか。

ヤクルトスワローズ関連記事

東京ヤクルトスワローズ 連覇に向かって2022年のベストオーダーと期待したい選手を予想

2022年川端慎吾選手 レギュラー奪取へ 来季のスワローズ①

2022年川端慎吾選手のレギュラー奪取へライバルとなるホセ・オスナ選手とは(ホークアイ) 来季のスワローズ②

2022年川端慎吾選手のレギュラー奪取へ ホークアイとコース別打率で見る今シーズンの特徴、来季のスワローズ③

FA宣言!?つば九郎の中身はいまだに足立さんなのか、なかみをこうさつ

バッティングの基本④ 落合博満選手のバッティング理論 バッティングの原点
落合博満選手のバッティング理論 バッティングの原点  私は自身のサイトでバッティングの基本についてお話をさせて頂きましたが、このサイトの理論は基本的には全て落合博満選手のバッティング理論を基にしてお話をさせて頂いています。若干私の解釈...
ノムさんの考え
感謝、感謝、感謝 2021年ヤクルトスワローズ日本一、主力選手がみんな涙を流して喜んでいました。  今年のスワローズは誰一人欠けても優勝はなし得なかったように思えます。それだけ全員野球でみんなが役割意識を持ってプ...
タイトルとURLをコピーしました