イチロー選手の下積み時代 河村健一郎さん、新井宏昌さんとの共同作業 振り子打法の完成

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イチロー選手がブレイクするまで、下積み時代

イチロー選手3年目 ついに転機が訪れる

仰木彬監督、新井宏昌コーチとの出会い

そんな中ついにイチロー選手に転機が訪れました。1994年ついに土井正三さんが監督を退任され、仰木彬さんが監督に就任されました。一軍スタッフ陣も総入れ替えが行われ、一軍打撃コーチに中西太さんの門下生で首位打者の獲得経験のある、同じ左打ちの新井昌宏さんが就任されました。

河村二軍打撃コーチはこの2人にイチローを一軍で起用して育てて欲しいと強く推薦し、イチロー選手を開幕から2番で使う事が決定されました。

出典:https://www.google.com/amp/s/www.nikkansports.com/m/baseball/news/amp/202004190000242.html

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新井宏昌さんの指導方針

新井昌宏打撃コーチはイチロー選手のバッティングスタイルについてこのように語っていました。

転機は1994年だった。仰木彬氏に監督が代わると、自身も巧打で鳴らした新井宏昌氏が打撃コーチに就任したのだ。新井氏が当時を振り返る。

「人とは違った打ち方をしていたけど、打球は素晴らしかった。ただ、試合で投手が緩急を使ってきたとき、弱さを見せるかもしれないとは思いました。

そこでステップし終わった格好から、しっかり振れるようにするドリルを取り入れた。彼はこれを5年間続けました。安定した成績を残す、きっかけになったはず」

出典:https://smart-flash.jp/sports/65193/amp

前年は一軍スタッフにバッティングを強制され、小さく特徴のないスイングをしていたと新井昌宏さんは見ていましたが、コーチに就任した時にはバッティングフォームが振り子打法に変化していた事でフリー打撃でも快音を連発して、のびのびとバッティング練習をしているイチロー選手を見て、イチロー選手の非凡なバッティング技術を認め、後は試合でいかに同じ形で打つことができるかを課題として一緒に練習に取り組みました。

振り子打法への評価

また新井宏昌さんはイチロー選手の独特な右足へ体重を乗せて打つ打ち方についてはこのように評価されていました。

軸足に残して打てと基本的なことをやかましく言う人がいるけど、ぼくは言わなかった。彼は軸が動く打者、ステップと一緒に体全体が投手寄りに動く打者だから、右足が降りたところが彼の軸。だからイチローは右足、右膝が命。右足が降りたところで、相手投手に緩急をつけた、いろんな球を投げられても、そこからまだ体が前に行くことなく、軸が右の方に寄ったところでしっかり振れるような練習をずっと入れたから。5年間ずっと続けて、ようやく6年目に「もうやらなくていいですか?」と彼が言ったんです。

出典:https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/amp/202004190000242.html

このように新井宏昌さんはイチロー選手の特徴と個性を認め、一軍で通用すると期待を持ち、長く活躍するためにイチロー選手と共にバッティングの調整をされてきました。

またイチロー選手はメンタルの強さを認め、打席に立つ事が好きで、向かっていく姿勢を常に持っていたイチロー選手に新井宏昌さんはメンタルについては特別指導せず、打席に多く立つため試合に出続ける体の強さとコンディションをしっかり整える事をアドバイスされました。

そしてブレイクを確信した新井宏昌さんは鈴木という特徴のない苗字から、ファンの人たちに注目してもらうためにカタカナでイチローと登録名を変更する事を仰木彬監督に提案しました。その提案を仰木監督は面白いと受け入れ、イチロー一人だけの変更では抵抗があるため、佐藤和弘外野手の登録名もニックネームのパンチ佐藤に変更し、共に登録名を鈴木一朗からイチローに変更されました。

その年1994年のオープン戦ではイチロー選手はほとんどスタメンで使われ、27本のヒットを放ち、2番センターとして開幕スタメンで出場し、最終的には200本安打を達成し、打率.385、13本塁打、54打点、29盗塁の成績を残し、首位打者とシーズンMVPを獲得されました。その後メジャーリーグに進出するまで、7年連続首位打者を獲得し、後は皆さんがご存知のようにメジャーでも首位打者、MVPを獲得し、2004年には262安打を放ち、シーズン最多安打記録を84年ぶり更新するなど華々しい偉大な成績を残し続けました。

まとめ

以上がイチロー選手のブレイクするまでのお話しになります。このように偉大なイチロー選手でさえ、苦しい下積み時代があり、周りに理解されなかった事で才能を発揮するのに少し遠回りをしてしまいました。しかし、イチロー選手は「無駄な事(遠回り)こそ最大の近道」とお話しをされている通り、ここまで活躍されるためには必要な事だったと自負されています。

そして、イチロー選手には三輪田スカウト、河村健一郎さん、新井宏昌さんなど良き理解者が周りにいた事で自分のスタイルを通す事ができました。また、土井正三さんに対しても「土井監督と僕とは、みなさんが思っているような犬猿の仲じゃないんです」「お会いすればもちろんお話をしますし、本当に感謝しているんです。そこは、誤解しないでくださいね」と語っています。

2022年現在、イチローさんは現役を引退され、アマチュア指導者の資格を持ち、全国の高校を回り技術指導を行っています。イチローさんも指導をする立場になり、そこから影響を受けて、活躍する選手もたくさん出てくると思います。今後のイチローさん活動に注目したいですね。

次回

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