中西太さんの功績 イチローや山田哲人にも影響 ティーバッティング練習の先駆け

イチロー

中西太さんの功績 イチローや山田哲人にも影響 ティーバッティング練習の先駆け

 プロ野球界には数多く、著名な打撃コーチがいますが、ルーツを辿ると系譜が数個に分かれます。広島やロッテで数多くのバッターを育てた山内一弘さんや、王貞治選手の一本足打法を共に完成させて荒川博さん、そして、ヤクルトや阪神、近鉄、オリックスなどで、監督、コーチを務めた中西太さんもその1人であり、中西さんの教え子が数多く存在し、今現在活躍しているプロ野球選手も、その門下生から指導を受けたり、直接中西さんから指導受け、脈々とその理論は受け継がれています。

 中西太さんは怪童という異名を取り、西鉄ライオンズの主力として、本塁打王5回、打点王3回、首位打者2回を獲得し、史上最年少のトリプルスリーも記録しています。1962年に西鉄の選手兼監督に就任してから、計8球団で監督・コーチを務め、指導者としても「名打撃コーチ」としてその名を馳せました。

前回記事

みんなのバッティングの先生 「怪童」中西太さんの教え 黄金期西鉄ライオンズの怪童
怪童中西太のバッティング理論 ルーツ 野球の世界において、指導者との縁はとても大切になり、良い指導者に巡り合えるかどうかで野球人生を大きく左右します。 プロ野球の世界でも、名選手には恩師、師匠と言える存在の監督、コー...

イチローの振り子打法を認めた新井宏昌氏の師匠

 中西さんの教え子は数知れず、錚々たるメンバーの名が連ねます。その一人として、仰木彬監督の下、大きく羽ばたき、世界的なレジェンドになったイチロー選手をオリックス時代に、その打撃を確固たるものに鍛えた一人が新井宏昌コーチです。

 新井コーチは、振り子打法の肝は「前足」「引き手」にあると気づき、前のめりに崩された時でも強い打球を打てるように、引き手である右手をしっかり振る練習を多く提案しました。その新井コーチが、現役時代に影響を受けたのが、中西太コーチでした。

近鉄での出会い、引退の危機から打撃開眼

1985年オフ。当時、33歳だった新井氏は出場機会が減少していた南海から自らトレードを志願し、近鉄に移籍しました。

 新井氏は当時の外野手は、長打を打たないとレギュラーじゃないというイメージを持っており、体の捻りでボールを飛ばす打撃フォームに徐々に変化していきました。新井氏は「これがダメだった」と語っており、本来の姿を見失い「どうして打てないか分からなくなっていた」と頭を悩ませていましたが、近鉄でコーチを務めていた中西太さんは新井氏の打撃を見ると、開口一番に「それは間違い。自分から力を出そうとするのではなく相手の球の力を利用して打ちなさい」とアドバイスをしました。

 近鉄に移籍するまでは「トップを深く作る」ことを意識しすぎていた当時の新井氏ですが、中西コーチの「そんなことしなくても自然に打ち出せばいい」との助言で打撃が開花し、

移籍1年目の1986年は全130試合に出場して打率.288、34歳にしてプロ入り初の2桁本塁打12本をマーク。さらに、翌1987年には打率.366で首位打者、184安打を放って最多安打を獲得するなど完全復活を果たしました。

オリックスヘッドコーチ時代 イチローへ直接指導

 また中西太さんは、1995年から1997年の3年間、名将仰木彬監督のもと、1軍のヘッドコーチを務め、意外にも守備面をとても大切にされ、当時スター選手として活躍していたイチロー選手にも守備について、口を酸っぱくして進言していたと言います。

 当時、オリックスの外野は、本西、田口、そしてイチローといて日本一の守備力を誇っていました。しかしその中、イチロー選手の送球がホームにノーバウンドで放ると時々シュート回転になったり、ばらけることがあったため、練習では返球をカットマンに正確に投げるようにうるさく指導したと言います。

 中西太さんは、「ワシがオリックスでやったのは、いわゆるしつけだね。怒ったわけじゃないが、基本について、口うるさく言い続けた。たぶん、選手は、ワシのことを、うるさいオヤジだなと思っていただろう。特に、イチローあたりのできるやつはな。」とお話しされていました。

 また、中西さんは「いいコースにいい球が来たら、カットマンがスルーすればいいんだしね。1球でやめさせたこともある。練習で何度投げても悪い形では仕方がない。いい球が来たら、「それでよし!」。打撃も同じだよ。」と語っており、オリックスのバッティングについては、新井氏が全体の指導を行い、当時、守備はいいが、非力な大島公一選手、馬場敏史選手、また、ニールやD・Jといった外国人選手を見ることが多くありました。

オリックス時代は指導者としての集大成

 中西さんは「これまでの蓄積もあって、オリックス時代は、どういうバッターにどういう指導をすればいいかが分かっていた。ワシの指導者人生の集大成と言っていいのかもしれんね。」と語り、「あとは、いつも全体を見ていた。それで、要所で声をかける。だから「あの人はいつも自分を見ているんだ」になる。逆に選手も見ている。ワシがトスバッティングでボールを体に当てたり、選手と一緒に汗をかき、泥にまみれてやっているのをイチローも見ていたと思うよ。」とこのコメントの通り、選手に寄り添う姿がとても印象的なコーチでした。

山田哲人を育てた、あのティーバッティングの創始者

 現代では山田哲人(ヤクルト)が杉村繁コーチの下、さまざまなティーバッティングに取り組み、超一流の打者となったことが知られていますが、ティーバッティングに力を入れ始めたのも中西コーチでした。 

 ヤクルトのコーチ時代、肝いりで獲得した若松勉選手を一流に育てるべく、遠征先の旅館で丸めた新聞紙を打たせているうちに、「これをグラウンドでできないか?」と考えた中西コーチであり、そして発注したのが、いまやどこの野球シーンでも見かけるティーバッティング用のネットだったと中西コーチは著作で語っているそうです。

中西コーチの指導の肝はティーバッティングにあり、フリーバッティングではあまり細かいことは言わず、ティーバッティングで「トス」の角度を変えて、いいスイングを探っていく。「選手の個性を生かす」「ティーバッティングを重視する」という点では汎用性の高い中西コーチの指導法は、現代のプロ野球にもリアルタイムで多大な影響を与えました。

若松勉と中西太の出会い 今もヤクルトに与えている影響

 中西氏は当時、小柄なためプロでやれる自信のない若松氏に対し、中西氏自ら、北海道の地に足を運び入団への交渉を行い、若松氏を口説き落とした経緯がありました。

 入団直後のキャンプで、身長168センチと誰よりも体が小さい若松氏に対し「プロは体の大きさじゃない。もっと下半身を鍛えれば強い打球を飛ばせる」 身長174センチの中西さんは丸太のような両腕をぶんぶんと振って何度もスイングを見せ、キャンプ地、遠征の宿舎で土台となる足腰を徹底的に鍛えました。 畳の上で中腰の姿勢から両脚を肩幅ほどに開き、すり足で素早く両脚を締める。畳が擦り切れるまで反復させられ、血のにじむ努力の末、下半身が鍛えられ、「足の裏で地面をつかむ」という独特の感覚を持てるようになったのだそうです。

 また、若松氏と共に同じくスイングを続けていたのが、これもまた打撃コーチとして広島の赤ヘル打線を支えた若かりしの内田順三氏でした。

岩村明憲の師匠となる 何苦楚の精神を伝授

そんな若松氏が  1999年にヤクルトスワローズの監督に就任した際に、恩師である中西太さんを臨時コーチとして招聘し、当時期待の大きい中、高卒から3年目のシーズンを迎え、伸び悩んでいた岩村明憲選手の指導を一任しました。

 中西さんは岩村選手に対しても、真正面から後ろ、横、真上から、さらにはワンバンさせてからなど発想のティー打撃を行い、独特の練習法のため、スポーツメーカーが特注の防球ネットを共同開発したほどでありました。当時の中西氏に練習の意図を質問しても「理由なんか知らんよ。打撃にはこうすれば打てるなんて正解はないんやから。いろんなことをするんよ。そういうこっちゃ」とケムに巻く答えをしていましたが、まずは様々なことを経験、トライし、後にに段々と本質を掴んでいくことの大切さをお話しされていたと思います。

 中西さんの指導により、その年から1軍で頭角を表してきた岩村選手のヘルメットの内側に、「何苦楚」という文字を書き込みました。

 何苦楚とは「人生は何ごとも苦しい時が自分の楚(いしずえ)を作るのだ」という意味であり、その言葉は中西さんが恩師三原脩監督から教えられ、座右の名としてきた言葉でした。この書き込まれた何苦楚という文字は、岩村氏にとっても、非常に大切な言葉となり、常に中西さんが書き込んだ何苦楚という文字のヘルメットを着用し、岩村氏も自らの座右の銘として、心に残し、メジャーでも活躍されました。

外国人選手も指導 ラルフブライアントと『シンボウ』

また、中西さんは、助っ人外国人に対しても、日本でお金を稼いでもらうためにと熱烈に指導を行い、数多くの外国人バッターを育成してきました。その中で代表的な選手は、近鉄バファローズのラルフ・ブライアント選手です。

ブライアント選手は1988年から1995年まで8年間にわたり近鉄バファローズでプレーし通算259本塁打を放ち、1989年には49本塁打でパ・リーグ本塁打王のタイトルを獲得しリーグ優勝に貢献、MVPに選出されるなど、記憶にも記録にも残る助っ人外国人でしたが、当時、その三振の多さがネックとなり、外国人枠の関係もあり中日ドラゴンズの2軍で燻り、出場機会が得られていませんでした。

 そういった中、中西さんが近鉄コーチ時代に1988年途中、大麻不法所持により逮捕され退団したデービス選手の代わりとしてブライアント選手を金銭トレードで獲得しました。

 力任せで三振が多く、毎日三振して涙を流すこともあったブライアント選手に対して、中西さんは『三振はいいんだ』と言い聞かせて教え、日本で活躍するにはバットコントロールが大事という話をし、外国人であるブライアント選手に対しても、通訳がいると、どうしても相手から目を離し、そっちを見る。それでは信用してもらえないという理由で通訳を介せず、英語、日本語、さらにはゼスチャーでバッティング指導を行いました。

 また、細いバットを使ってシャープなスイングの練習をさせたり、トスバッティングでもいろいろな角度から速い球、遅い球を投げたりと長時間ブライアント選手の練習にマンツーマンで付き合いました。その後、主に「3番」で起用されたブライアントは「三振王」が「本塁打王」にすり替わり、中西太という名コーチの手腕によって異国で“花”を咲かせることとなりました。

 中西さんはブライアントについて「日本で活躍しようというハングリーさがあったからよう頑張ったよ。」と振り返り、中西さんはブライアント選手に「辛抱じゃ」と日本語で伝え続けたことで、あとで成功の秘訣を聞かれ、「シンボウ」と答えたというエピソードが残されています。

中西太さんの功績と現代にも通ずる理論と意識、練習方法

 このように数々の功績を残した中西太さんですが、技術指導で一番大切にされていた事は個性を見つけて長所を伸ばすという事であり、西鉄時代の三原脩監督の教えである「人を見て法を説け」という言葉を最後まで貫き、選手の体の作りや動き方の特徴を捉えて、その選手にあった指導をされてこられました。特に選手との対話を大切にされ、教え込むというよりは体感させる事を大事にして、自分も一緒に汗を流し、ひたすらトスを上げ、選手とティーバッティングを延々と繰り返されていました。

中西太さんは、自分がバッティングを教えているのではなく、選手たちにバッティングを教えてもらっている、これからも何か話す機会があったら自分にバッティングを教えてくれと話され、生前はプロ野球中継を欠かさずチェックされ、探究心を最後までしっかりと持たれていた方でした。

 以上のように中西太さんの打撃理論は、現代野球の基礎となっており、今もなお教え子たちが指導者としてプロ野球の世界で活躍されています。私たちが指導者から教えてもらった打撃理論もルーツを辿れば中西太さんの教えであるという事も意外も多いのではないでしょうか。ここまでご視聴ありがとうございました。

みんなのバッティングの先生 「怪童」中西太さんの教え 黄金期西鉄ライオンズの怪童
怪童中西太のバッティング理論 ルーツ 野球の世界において、指導者との縁はとても大切になり、良い指導者に巡り合えるかどうかで野球人生を大きく左右します。 プロ野球の世界でも、名選手には恩師、師匠と言える存在の監督、コー...

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